春過ぎて…

 今年のはじめに“今年こそもう少しブログを書きたいもの”、と書いたまま、ひと言も書かず、いつの間にか、もう2013年の3分の1が過ぎています。みなさんにとって2013年はどんな年なのでしょうか。

 昨年の秋から取り組み始めたことがらが、本格的にスタートした2013年。息をつく暇もないいそがしさとはこのこと、という日々が続き、リフレッシュに身体を動かす時間がうまく取れないのが悩ましい毎日。そうこうするうちに、さらにもうひとつ“新しい取り組みをぜひ”と声をかけていただき、3月からは、そちらのことも加わり、とにかくその日その日をこなすことで精一杯に。やっとそちらも一段落し、思いがけずGWが久しぶりの連休になりました。

 なかなか、ゆっくりブログを書くという時間が取れなかったこの春、まず思い出すのは風の強い日が多かったということ。3月4月のはじめ、大雨を降らせ、傘を圧し折る台風紛いの荒れ模様が印象に残っています。吹雪などで事故に見舞われた方のニュースが伝えられ心が痛みました。この春は低気圧や強風といった悪天候で、体調が思わしくないという方も多かったのではないでしょうか。人は、確実に、また公平に、日一日、刻一刻と年齢を重ねますから、体感する気候が過去の経験のようではない、ということが必ずしも地球環境の変化とは限らない、と思いつつも、若かったあの頃のようには日々の疲れが取れない自分を眺めながら、“しかし、春にしてこの風の強さはどうなのだろう、子どものころや、若いころとは大気が駆け巡るそのエネルギーが格段に大きくはないか?やはり温暖化か…。”と自分の体感、経験、過去の記憶、そして思考を重ね合わせ、終わりなく自問自答を繰り返しています。

 自然に働きかけ、資源やエネルギーを駆使する力を手に入れた人間が地球上に与えている影響の大きさ、その深刻さを訴えることができるようなデータを手元に持ち合わせてはいませんが、そうした問題を直視し、そのことと向き合う人々が、世の大勢とはいかずとも、貴重な発信をされていることに敬意を表しつつ、同じように、名もない草木が、荒れ狂うような風にもまれながら、その中でも季節を忘れず、芽吹き花をさかせ、風景を緑にかえていく“たくましい植物の生命力”を示し、今年もまたそれに巡り合うことが叶い、励ましや勇気をもたらしてくれているということ、そうした“植物たちの輝き”にも、人知れぬこのブログの上で、敬愛をこめて賞賛の辞を捧げたいと思います。

 昨年、最初に買い求めた赤いゼラニウムから採取した種から育ててきた鉢のなかで、最初の2鉢はピンクの花をつけましたが、その後の2鉢に念願の赤い花が咲きました。

今朝撮った画像、カメラの性能が低く、色があまり出ていませんが、ほんとうは燃えるような赤い色です。

疲れを解消するような元気をくれる赤いゼラニウム、親の鉢も二周り大きくなってさかんに花をつけています。毎日水やりするだけのことですが、「水のお返しに」と花から私へ、目に見えないチカラをもらっているに違いありません。
同様に種から育てたワイルドストロベリーも、鉢が増えて元気に実を結んでいます。
燃える赤もいいですが、思いがけず咲いたピンク色はすこしおだやかなやさしさを思い出すようにという何処かからの伝言でしょう。そのうちのひとつのピンクが軽くオレンジがかっていて、新鮮な色味です。山吹のようなきいろを合わせると明るく楽しい気配をつくりそうだ、と、次の(ちいさな)風景づくりが頭に浮かんでいるところ。。。

 そうそう、この数カ月にまた何名かの方に花圓紗維のレッスンを体験していただきました。ご来訪いただきましたみなさま、ありがとうございました。これからも花圓紗維は“花との語らいがもたらす豊かな時間のための小さな教室”としての歩みを続けていきます。
このたび、前述の3月以来取り組んできた“新しい取り組み”として、習い事を専門に紹介する東京レッスン.comに、詳しいレッスン内容を掲載した、花圓紗維の紹介ページを作成しました。そちらもHPと合わせて教室情報としてご活用ください。
 
 2013年、
  これからの月日が、平和で心楽しく、やさしく、
         実り豊かな日々でありますように。

                           喜  苑
   
   
     
   
   
   
    
    
    
    
 
   
   
   
    
    
    
     

2013

2012年、夏から秋にかけてふたたび転機が訪れ、あわただしい毎日のなか、振り返る間もなく新しい年を迎えました。

年末から日本海側に雪が多いと聞いています。どんな様子だろうと気になりつつも、3日から仕事が始まり、その準備もあってゆっくりニュースを確認するゆとりもない年明けとなりました。

もうすぐこの場所に越して一年になります。
新年をここで迎えたのは今年が最初。
秋が深まる頃、ベランダから少し乗り出すと、道と木立の向こうに富士山が見えていると気がつきました。
晦日の晩に冷え込んだためか、元日はよく晴れて澄んだ空気が辺りに凛とした気配を届けているなか、雪化粧した富士山がはっきり。写真でもアップすればいいところですが、電線が遮っているため、こうして書き記すことに。

あわただしく息をつく暇もなかったが2012が過ぎ去り、まったく新しいことに取り組むことになった今年。
昨年は見えていなかった富士山が今年ははっきりと見えている、ということ、この感じを大切に過ごしていきたいものです。

ところで昨年、種を芽吹かせて育ててきたゼラニウムは、いよいよ本格的な寒さとなる直前やっと一鉢花を咲かせました。親は赤い花ですが、育った子は少し赤みがかかったピンク色。朝顔のように親と同じ色の子が育つわけではなかったことに驚き、ベランダをインパクトのある赤い花で彩る予定は未定となりました。
水をあげるたびに、何もかも思い通りでなく、少し何かに委ねていくように、というゼラニウムからのメッセージが私に伝えられています。

『今年こそ』とか『今年は』の抱負、いろいろですが、ゼラニウムと話しながら、もう少しブログも更新したいものです。

2013年が平和でしあわせな年であり、よきことの実がたくさん結ばれますように。





  

伝統療法

 このブログを始める何年も前から、書きたい、書いて伝えたいと思っていることがあります。しかし、なかなか書き出せずに来ました。今日は書きはじめることができるか、どうか。

 9月の終わりまで暑い日が続き、10月に入っても大方薄着で過ごしている今年。暑い中を雑事に追われ朦朧としているうちに時間に先を越されてしまったかのように、茫然としている自分がいます。8月は特に忙しかったため、夏中、体力が落ちていると感じさせられました。一度疲れを溜めてしまうとペースを取り戻すのに四苦八苦。

 元々体力に恵まれたタイプではなく、20代にいろいろと無理を重ねたことがたたり、十年と少し前に、腹部にメスを入れることになりました。手術自体は盲腸摘出に毛が生えた程度の簡単なものでしたが、それまでの丸一年いろいろな症状に悩まされ、手術後はそれに併せて後遺症に見舞われ、体調は長いこと散々。病院もどこに行ったらよいのかわからないながらも何か所も行きましたが、解決には至らず、仕方ないので自分であれこれと健康法を手探りしはじめました。夢中でした。

 寝ても起きてもどうにもしようのない痛みやら苦痛やらで、なんとかしなければ“自分の体の中に自分の居場所がない。身の置き所がない”、気絶でもできればいいけれど、悪いのが右半身のみで、その結果どういうことになるかというと、病んで壊れていったり、もしかしたら腐っていったりしていそうな右半身の状態とその苦痛を正常な左が観察するという羽目に。過酷な状態です。
 そんなことを経験していたある日、苦痛で横になっているとき、ふと『カンポウ(―漢方)…ヤク(―薬)』という言葉が頭に浮かびました。それはそのまま、子供のころ同居していた祖父の本棚にずらっと並んだ漢方薬や民間療法、東洋医学の書物の記憶のビジョンとして連なり、祖父の本棚が瞼に浮かんできました。はっとして、これだと感じました。そして数年前に買っていた雑誌の漢方薬特集の記事を見直し始め、その後数冊の本を買い込んできて自分の体質について自分で分析しはじめたのです。

 どちらかといえばやせ形、冷え性、明らかに「虚(きょ)」と分類されるタイプです。このタイプは日頃から『とにかくに冷やさない、温める、暖かくする』ことが肝心です。巷でよく言われていることも、東洋医学の知の体系という背景を得るとぐっとその意味が自分に迫ってきます。切実な悩みをきっかけにして、自分の不調について考え、不調の症状を捉え直し、分析し、それらの情報を整理して、そして考える。考えられる対処法を調べていく。場合によっては処方されるであろう漢方薬を絞り込んでいき、その成分と類を同じにする野菜(たとえば、それはにんじんだったり、セロリだったり、山芋やゴボウであったり)をその時々の体調に合わせて組み合わせた献立を考えて食事を作るなどしていました。苦痛から逃れようという切実な必要からすることなので、まったく大変だという感じはなく、とてもクリエイティブで充実した時間でした。そして自分の想定通りに不快感や不調が改善されるとある達成感のようなものとともに、きっと良くなれるのだという喜び、希望が湧いてくるのです。その頃少し前から行きはじめたスポーツクラブで身体を動かすようになったことも奏功したのだと思います。『病気で苦しいはずだけど、楽しい。』毎日がそんな感じ。

 そうして、振り返れば、いろいろなことを調べ考えました。―食養生漢方薬中医学、経絡指圧、リンパマッサージ、ヨガにピラティスクラシックバレエ、さらに最近ではアロマテラピー。夢中でした。あらためて書き出していると、それぞれの知識の泉に触れたときの感動と喜び記憶が、自分の細胞の奥から吹き出してくるかのよう。これだけでワクワク!と楽しい気持ちになります♪ 人間の体の仕組み、病気の仕組み、それに向き合ってきた古えの人々の知恵の結晶として今日に伝えられた伝統療法。―調べたり実践したりを繰り返すうちに点だった知識も少しずつ結ばれて線になり、そして面へと繋がっていく。その度に『あっ、そうっだったのか!』と枯れ地に泉が吹き出したかのような、日照り続きに雨がしっとりと浸みわたるような充実感が自分の中を満たしていきます。『病気で苦しいはず、だけれど、知恵の世界に巡り合えて嬉しい。』そうして私の生活も意識もどんどんと一変していきました。伝統療法のたすけによって不調に陥りがちな私の身体でも、希望と連れだって暮らしてきました。

 ここ最近、とくに震災以降は、はじめてのブログにも書いたとおり気力を落としてしまい、悩みの質も変わっています。あの“夢中の楽しさ”はすでに“いま”のものではありませんが、それだけ病気そのものの悩みからすでに解放された、ということ、つまり病気はもう完治した、または完治しようとしているということでしょう。

 もしも、原因不明の不調に悩んでいる方がこの拙文と出会われたら『いろいろ大変だと思いますが、いつか自分に合った方法が見つかって、良くなれる、せめても改善できる、その可能性はあるのだ。』と、お伝えしたいと思います。

 またいずれ、具体的に何を知り、どのようにしたのか、あらためてまとめていきたいものと思います。何かご質問などあれば、お気軽にどうぞ。info@kaensai.com

 はやく夏の疲れを取り去って、今年の秋が楽しい秋になりますように。

 ノーベル賞授賞の報で、病気で困難な状況にある人々の力になりたいという信念が今もどこかに息づいていると知らされたその日に。危うい先端技術を人倫が制御し続けることを祈りながら。






  

8月

こちらのブログ、たった2回書いただけですが、最初にこれで始めようかどうしようか、と考えたとき、広告が入らないということが決め手のひとつでした。ほかに樹と小鳥でかわいらし(すぎ?)い、まあよくわからないけれど、とりあえずこれでいいでしょう、と、思っていたら、今日から広告が入るとのこと。まったく知りませんでした。残念です。。。が、気を取り直して。

書こうと思うことが、いろいろでなかなか纏らず、つい間隔が空いてしまいます。伝えたいと思っていることをどう伝えることができるか、いつも考えています。

そうこうするうちに8月、今はオリンピックが賑やか。一方で先月から大雨被害に見舞われている九州の方々のことが、気掛かりです。

昨年の今頃、脳裏に擡げる無力とか非力という言葉を振り払い、「微力ではあっても無力ではない」のだと自分の意識を換えるべく被災地に入るための準備に追われていました。それは、その少し前、春から夏に千代田区の“3331”という場所で募集されていた『東日本大震災復興支援企画』に応募・参加して、“7月9〜10日の2日間作品を展示し、自主制作本を販売し募金を募る”http://action.3331.jp/000022.htmlというそのとき自分にできる精一杯のことを終えてすぐの頃。集まった募金(本の売上と募金箱への善意)は私の力のなさをうつし出してほんの僅か。それでも2万数千円お金を募金していただきました。こうして書いていると、手作りした募金箱にお金を入れてくれた方々の顔を思い出し胸があつくなります。ありがとうございました。
そのお金は、考えた末、凡そ半分を『いわての学び希望基金』に募金し、残りを趣旨をご理解いただいた被災地の自治体の方のお力をお借りして、その地域の孤児となった子供たちの夏休みのお小遣いとして手渡しすることとしました。ポチ袋を探したり、メッセージを作ったり…、今またその時のことを思い出し、あのときほんの少し触れあった方々はどうしているだろう、と筆が止まってしまいます。
いろいろなことを考え、思いだします。


今日は時間がないので、とりあえずここまででアップして、また続きを書きますね。
もしも眺めてくれている方がいらしたら、後日の修正版もぜひご一読ください。

暑くなってきた昼前に。


(続き)

 “夏休みのお小遣い”。 夏祭りの屋台でお好み焼きやら綿あめやらを、みんなと一緒に買える程度。勉強したい子がドリルを一冊買えるくらい。ほんとうにささやかなお小遣いでした。ほとんどのご家庭に事前に連絡を取っていただき、A様のご案内でその地域一帯をまわり、袋の中のメッセージがお子さんの不利益になるようならば、保護者の方のご判断で破棄していただくようにお願いしながら、ちょうど一年前の今頃、真夏の三陸海岸を歩きました。よく晴れ渡ったその日は、海の美しさが恨めしい程。そうした中、事前に連絡がつかなかったという方のお宅に伺った際のこと、驚かれたご様子でしたので、「東京で皆さんを思う方たちの善意です。何にでもお役立て下さい。」とお話しました。するとその方が「花火を買わせてもらいます。」と言われました。思いがけないことでしたので、内心少し驚いたことを覚えています。この地域ではご先祖様を偲んでお盆に花火をする習慣があるようだと初めて知りました。私も岩手の出身ですが、内陸ですので、広い岩手県、知らないことが多いとあらためて感じながら、『これで花火を買う』という何気ない言葉を印象的に感じました。次第に、庭先や路地で家族で楽しむ花火も、また、真夏の漆黒の海のうえの、夜空に瞬く大きな打ち上げ花火も、それを眺める間、今は会うことができない人々を想う特別の時間なのだと、ゆっくりとわかってゆきました。
 先日、玉川の花火大会の花火を今いるこの場所からも眺めることができ、暫く花火を見て過ごしたとき、「花火を買わせてもらいます」というその言葉が思い出されました。あの日以来、私にとっての花火も、遠く会えない人を思う時間へとその意味を変えたのだと思います。


オリンピックの凱旋パレードが華やかだったその翌日に。
  



  
 

花圓紗維

 二十年程前に始めたいけばなの活動に“花圓紗維”という名前を考えたのは、たしか十年くらい前のこと。その後3年前2度目の個展の際に“花のスタジオ花圓紗維”と名乗りはじめました。
 当時、考えていたことは大きく5つ。個展をする、作品集を作る、ワークショップをする、いけばなの場をつくる、そして、ホームページを作ること。
 とうとう先日、花圓紗維のホームページが完成し(http://www.kaensai.com/index.html)
十年前に考えていたことがひととおり形になったことに、つい最近気がつきました。今思えば、当初はほんとうにすべてを形にできるというイメージは、実は持っていなかったように思います。ひとつ、またひとつと、体力・気力・時間、そして(少しの)お金、それらをその時々自分にできる範囲で積み重ねながら守り育て、ゆっくりと歩いてきました。

 昨年から今年、身の回りが変化しています。地震が一つの転機。一年を通して内面的な変化が重なってゆきました。その流れに任せて今年に入り寒さの厳しい1月に引越しして、おおよそ荷物が片付くとまずは苗を4つほど買ってきてベランダの花を一新。一鉢目に買った赤いゼラニウムが非常に多産で、すでにたくさんの種が実り、今はその2世が芽吹いています。最近買ってきたワイルドストロベリーには普通の苺さながらの大きな赤い実。

 十年程前に一度大きく身体を壊して以来、多くのことを伝えられないままにしてきました。健康を取り戻すための寄り道で知ったこと、思ったこと、感じたこと。大病を経験した方がよく人生観が変わったとおっしゃるのを耳にしますが、私の中の“言葉では伝えきれない”というこの感じも、それに類したことだと思います。この十年にのみ込んできた経験や学んだ知識の中には誰かの役に立てることもあるかもしれません。いけばなやアロマテラピーガーデニングなど私の“植物愛”と共に、これから少しずつ書き起こしていきます。

 時々更新しますのでまた気軽にお寄りください。

                   喜 苑








  

はじめてのブログに

 
 台風後の肌寒さに感じる時の移ろい、
 地震津波から半年のこの今も、以前と変わらない“社会のうつし絵として計算されつくした複雑なもの”が、時代の空気として、または顔として私たちの深層心理にすりこまれ、明るい未来がうたわれている。ただとてつもなく大きな惨事を共時体験した今、様々なかたちで入ってくる情報の多くが時に虚しく、「だれもが精一杯、その人自身と誰かのために仕事しているのだ」とわかっても、胸の内に埋められれることのない微かな空白があることを否めない。

 生まれてくることのなかにある逃れられない悲しみ、それは今の私たちの境遇に初めて起こっているのではない。しかし我々が生きるこの世界は、深い静けさが常に人間の隣にあることを私たちが受け止めるために、時折思いに沈み、考える時間に佇むことから私たちを遠ざける。個々人の内面に重くのしかかるものをどうするか、その重みに耐えて、悲しみが勇気や慈愛へと昇華されるためにどれほどの時間を要するのだろう。この静けさを通り抜け、その先に再び明日と出会っていく、その明日が、七色の光が風と戯れる中、花を慈しむ、そんな明日であるように、今はただできることをしていよう。

この自分自身が、花を思う場であろうとし続けること、それが私にできる最上のこと。
花圓紗維(かえんさい)は花のスタジオです。
この先の私が生きる有限の時間のなかで、いのちの本当の夢を私自身が一時でも多くその中を生きているように。そして、その波動を静かに伝えていけるようでありたいと、思っています。
はじめてのブログに。
                                 いけばな作家 喜 苑