8月

こちらのブログ、たった2回書いただけですが、最初にこれで始めようかどうしようか、と考えたとき、広告が入らないということが決め手のひとつでした。ほかに樹と小鳥でかわいらし(すぎ?)い、まあよくわからないけれど、とりあえずこれでいいでしょう、と、思っていたら、今日から広告が入るとのこと。まったく知りませんでした。残念です。。。が、気を取り直して。

書こうと思うことが、いろいろでなかなか纏らず、つい間隔が空いてしまいます。伝えたいと思っていることをどう伝えることができるか、いつも考えています。

そうこうするうちに8月、今はオリンピックが賑やか。一方で先月から大雨被害に見舞われている九州の方々のことが、気掛かりです。

昨年の今頃、脳裏に擡げる無力とか非力という言葉を振り払い、「微力ではあっても無力ではない」のだと自分の意識を換えるべく被災地に入るための準備に追われていました。それは、その少し前、春から夏に千代田区の“3331”という場所で募集されていた『東日本大震災復興支援企画』に応募・参加して、“7月9〜10日の2日間作品を展示し、自主制作本を販売し募金を募る”http://action.3331.jp/000022.htmlというそのとき自分にできる精一杯のことを終えてすぐの頃。集まった募金(本の売上と募金箱への善意)は私の力のなさをうつし出してほんの僅か。それでも2万数千円お金を募金していただきました。こうして書いていると、手作りした募金箱にお金を入れてくれた方々の顔を思い出し胸があつくなります。ありがとうございました。
そのお金は、考えた末、凡そ半分を『いわての学び希望基金』に募金し、残りを趣旨をご理解いただいた被災地の自治体の方のお力をお借りして、その地域の孤児となった子供たちの夏休みのお小遣いとして手渡しすることとしました。ポチ袋を探したり、メッセージを作ったり…、今またその時のことを思い出し、あのときほんの少し触れあった方々はどうしているだろう、と筆が止まってしまいます。
いろいろなことを考え、思いだします。


今日は時間がないので、とりあえずここまででアップして、また続きを書きますね。
もしも眺めてくれている方がいらしたら、後日の修正版もぜひご一読ください。

暑くなってきた昼前に。


(続き)

 “夏休みのお小遣い”。 夏祭りの屋台でお好み焼きやら綿あめやらを、みんなと一緒に買える程度。勉強したい子がドリルを一冊買えるくらい。ほんとうにささやかなお小遣いでした。ほとんどのご家庭に事前に連絡を取っていただき、A様のご案内でその地域一帯をまわり、袋の中のメッセージがお子さんの不利益になるようならば、保護者の方のご判断で破棄していただくようにお願いしながら、ちょうど一年前の今頃、真夏の三陸海岸を歩きました。よく晴れ渡ったその日は、海の美しさが恨めしい程。そうした中、事前に連絡がつかなかったという方のお宅に伺った際のこと、驚かれたご様子でしたので、「東京で皆さんを思う方たちの善意です。何にでもお役立て下さい。」とお話しました。するとその方が「花火を買わせてもらいます。」と言われました。思いがけないことでしたので、内心少し驚いたことを覚えています。この地域ではご先祖様を偲んでお盆に花火をする習慣があるようだと初めて知りました。私も岩手の出身ですが、内陸ですので、広い岩手県、知らないことが多いとあらためて感じながら、『これで花火を買う』という何気ない言葉を印象的に感じました。次第に、庭先や路地で家族で楽しむ花火も、また、真夏の漆黒の海のうえの、夜空に瞬く大きな打ち上げ花火も、それを眺める間、今は会うことができない人々を想う特別の時間なのだと、ゆっくりとわかってゆきました。
 先日、玉川の花火大会の花火を今いるこの場所からも眺めることができ、暫く花火を見て過ごしたとき、「花火を買わせてもらいます」というその言葉が思い出されました。あの日以来、私にとっての花火も、遠く会えない人を思う時間へとその意味を変えたのだと思います。


オリンピックの凱旋パレードが華やかだったその翌日に。