折節のこと

前回のブログからちょうど2か月ほど。ふたたびあわただしい毎日でした。

日々追われるように過ごしている最中に、この2週間にこれまでお世話になった方たちとの別れがありました。身近なひとがいつのまにか高齢という世代に入り、お怪我されたり、身体をこわされたり、ということが引きも切らずに聞こえてくる到来した高齢化社会のなかで、自分が何に対してどうふるまっていくか、思い悩むことが少なくないのは私ひとりではないでしょう。

そう簡単にひとりで生きてはいけないのが人というもの。生まれてくる、というのは、なかなかたいへんなことです。だれもがはじめは無力な幼な子として生まれ落ち、周囲の守りを得て、一歩一歩と自分の足で歩きはじめる。ひとつひとつ学んで知って、自分の人生を創っていく。

私自身の人生も、平均寿命でいくとそろそろ後半戦。(現在、歴史や社会学などが、仕事の一部になっており、いつか聞いたような気のする話を調べ直したりしていますが、)むかしの人の寿命がどのくらいだったか、という話で思い出すのが、よく映像化された「人生五十年…」という織田信長の舞の場面。実際はそれよりもずっと短かったらしいですね。50歳まで生きられたら長く生きられたほうだったそう。そういう人類史が積み重なってきたうえにある、この今の時間。日常はひたすらあわただしく気がつくと息をするのを忘れていたりするほどですが、日常を支えてくれているたくさんのこと、あらゆることに感謝していたいものです。ちなみに、関心ないかとかと思いますが、20代に無理したのが30代でたたって一度死に損なったようなからだですので、平均まではいかないかな、と。他人事のような見通ししか持ち合わせておらず、今はただ、あわただしい毎日を日々日々巡らせていくのでやっとですが、こんな暮らしでも呼吸くらいは、できるだけ、深い呼吸をしているようでありたいものです。